第75代横綱・大の里泰輝(おおのさと だいき)の本名は中村泰輝(なかむら だいき)です。四股名「大の里」の由来は、大正末期から昭和初期に活躍した元大関・大ノ里萬助(おおのさと まんすけ)。二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が将来を期待して名付けました。
「大の里は以前、別の名前だった?」「なぜ大ノ里ではなく『大の里』なの?」「師匠との関係は?」という疑問を、2023年の入門会見の実際の映像と元大関の歴史、青森県藤崎町との交流記録をもとに説明します。四股名は今後の本場所の勝敗によって変わる情報ではないため、長く読み返せる人物史としてまとめました。
大の里の本名は中村泰輝!読み方と四股名を比較
| 項目 | 現在の横綱・大の里 |
|---|---|
| 本名 | 中村 泰輝(なかむら だいき) |
| 四股名 | 大の里 泰輝(おおのさと だいき) |
| 所属部屋 | 二所ノ関部屋 |
| 出身地 | 石川県河北郡津幡町 |
| 誕生日 | 2000年6月7日 |
| 入門時の四股名 | 大の里 |
| 初土俵 | 2023年5月場所(幕下10枚目格付出) |
| 四股名を決めた人 | 師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里) |
日本相撲協会の力士プロフィールには、本名「中村泰輝」、しこ名履歴「大の里」と記載されています。したがって、プロに入ってから別の四股名で取っていた時期はありません。入門前に本名で大会へ出場していたことと、入門後に四股名を改名したことは別です。
「大の里」の四股名は誰が付けた?師匠の思いと命名理由
四股名が公表されたのは2023年4月6日。新潟県糸魚川市の海洋高校で、日本体育大学を卒業したばかりの中村泰輝が二所ノ関部屋への入門を発表した会見でした。師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)も同席し、四股名を「大の里」に決めた理由を語っています。
元大関「大ノ里」のような名力士になってほしい
師匠はこの四股名を、将来大関や横綱を目指せる逸材に付けたいと温めていたそうです。名前の由来となったのは、大正・昭和期に大関として活躍した「大ノ里」。記録を残した先人にあやかるという意味と、大学相撲で実績を積んだ大の里への期待が込められました。
2023年の入門会見時、大の里は師匠よりも大きな体格でも知られていました。親方は「大」という字が本人の姿と合うと考えた経緯も説明しています。当日の本人・二所ノ関親方の会見取材。
稀勢の里の改名候補にも「大の里」があった
興味深いことに、元横綱稀勢の里である二所ノ関親方自身も、現役時代に本名の「萩原」から「稀勢の里」に四股名を変えた際、「大の里」が候補の一つに挙がっていたと報じられています。実際には自分が名乗らなかった名を、期待する弟子に託したわけです。
「大の里」の命名は偶然の思いつきではなく、師匠が長く大切にしていた候補だったことが分かります。スポニチの命名取材(2023年4月7日)。
本人は最初からこの四股名が気に入っていた?
中村泰輝は入門前、当初は本名を使いたい気持ちもあったそうです。師匠から「大の里」を示されたときには少し戸惑いもありましたが、昔の名大関について調べるにつれて惹かれていったと話しています。
大切なのは、本人が望んでいない四股名を押し付けられたと断定することではなく、命名の背景を理解して受け入れた経緯です。会見では「名前を全国に広めたい」という意欲を示しました。
2023年の入門会見を公式動画で見る|本名・四股名が発表された瞬間
四股名の由来を知るなら、当時の本人と師匠がそろった映像が最も分かりやすい資料です。次の動画は、2023年4月6日に海洋高校で開かれた入門会見を報じた石川テレビ公式チャンネルの映像。紙面の写真ではなく、本人の顔や口調、師匠との並びも確認できます。
動画が公開されたのは2023年4月6日で、この日が四股名の発表日です。大の里が初めて大相撲の本場所で相撲を取ったのは翌2023年5月場所。会見の日付と初土俵の日付は分けて覚えておくと間違えません。
名前の由来になった元大関「大ノ里萬助」とは?
今の横綱の四股名に使われた「大ノ里」は、青森県南津軽郡藤崎町出身の元大関・大ノ里萬助(本名:天内萬助)です。1892年に生まれ、1938年に亡くなりました。大正末期から昭和初期にかけて大関として長く活躍し、「相撲の神様」と称された力士として故郷に記録が残っています。
| 比べる点 | 元大関・大ノ里萬助 | 現在の横綱・大の里泰輝 |
|---|---|---|
| 四股名の字 | 大ノ里(片仮名のノ) | 大の里(平仮名のの) |
| 本名 | 天内 萬助(あまない まんすけ) | 中村 泰輝(なかむら だいき) |
| 出身 | 青森県藤崎町 | 石川県津幡町 |
| 活躍した時代 | 大正末期~昭和初期 | 令和 |
| 最高位 | 大関 | 横綱 |
| 記録で知られること | 身長161cmの小兵ながら大関を約7年間務めた | 2025年5月に第75代横綱への昇進が決定 |
161cmながら大関を務めた「相撲の神様」
元大関の大ノ里萬助は、当時としても小柄な161cmだったと伝わります。それでも足腰の強さと技術で番付を上げ、1925年から1932年にかけて長く大関を務めました。2024年に青森県藤崎町で紹介された展示資料では、本人の化粧まわしが保存されてきた経緯も報じられています。
体が大きく、正面からの圧力が強い現在の大の里とは体格も取り口も違います。しかし、名前に込められた強い力士になってほしいという願いは、時代を越えてつながっています。藤崎町での元大関の化粧まわし展示に関する取材。
旧大ノ里と現役大の里は親子・親戚?
両者の関係として確認できるのは、現在の横綱が昔の元大関にちなんだ四股名を授かったということです。世襲の親子関係として四股名を継承したわけではありません。大の里は2024年に元大関の故郷を訪れ、元大関の親族の方々と交流しています。
検索では「大ノ里」と「大の里」が混在しますが、旧大関の引退・没年などを、現在の横綱の出来事として扱わないことが大切です。
大の里は2024年に青森・藤崎町を訪問|元大関の親族と交流
名前を受け継いだ大の里は、2024年8月20日、元大関・大ノ里の出身地である青森県藤崎町を訪問しました。町役場で地元の人々の歓迎を受け、元大関の親族と初めて会ったことが報じられています。
地元紙の東奥日報の2024年8月20日付記事には、その日の訪問と交流が記録されています。また、青森テレビによる2025年の取材では、元大関の顕彰碑を訪れたときの様子も紹介されています。
2025年には横綱昇進を藤崎町でも祝福
2025年5月28日に第75代横綱への昇進が決まると、藤崎町でも祝福の動きが広がりました。同年8月19日には大の里と二所ノ関親方が藤崎町を訪れ、横綱昇進の祝賀会が開かれています。
2024年には地元からふじりんごを描いた化粧まわしが贈られていました。横綱昇進を機に三つぞろいの化粧まわしを使うことになり、贈られた化粧まわしは返還されました。2025年8月の藤崎町祝賀会の取材。
りんごの意匠や、ほかに贈られた三つぞろいについては、大の里の化粧まわしの図柄と贈り主でまとめています。
四股名「大の里」の歩みを年表で整理
| 年月日 | 四股名にまつわる出来事 |
|---|---|
| 2023年4月6日 | 新潟県・海洋高校の入門会見で「大の里」の四股名を発表 |
| 2023年5月場所 | 二所ノ関部屋から幕下10枚目格付出でプロ初土俵 |
| 2024年8月20日 | 元大関・大ノ里の故郷である青森県藤崎町を初訪問し、親族らと交流 |
| 2024年11月場所 | 大関に昇進。藤崎町からのりんご柄化粧まわしを受け取る |
| 2025年5月28日 | 第75代横綱への昇進が正式決定。元大関の名につながる「大の里」が横綱の四股名となる |
| 2025年8月19日 | 藤崎町で横綱昇進の祝賀会。師匠も出席し、地元の応援に感謝 |
四股名を付けてから最速で横綱へ|公式の新入幕会見動画
2023年に「大の里」という名前で角界へ入った後、2024年1月場所で新入幕、2024年11月場所で大関、2025年7月場所から横綱となりました。
日本相撲協会は2024年1月場所前、所要4場所で新入幕を決めた大の里の会見を公式動画として公開しています。四股名をもらった入門会見から約9か月後、師匠と並ぶ表情を見比べられます。
横綱までに何場所かかったか、場所別の番付と成績については大の里の最速横綱昇進と13場所の記録にまとめています。
大の里の名前と四股名についてよくある質問
大の里の本名は何ですか?
中村泰輝(なかむら・だいき)です。日本相撲協会のプロフィールに本名として記載されています。
大の里は四股名を変えたことがありますか?
プロ入り時の2023年5月場所から「大の里」です。協会公式プロフィールのしこ名履歴も「大の里」だけです。入門前の学生相撲時代は本名の「中村泰輝」として活動していました。
「大の里」の「の」は、なぜひらがな?
以前の元大関は「大ノ里」と片仮名で書き、現在の横綱は「大の里」と平仮名で書きます。2023年の入門会見で現在の表記として決まったものです。表記を分ける理由について、それ以上の公式な説明までは確認できていないため、特別な意味を推測して断定しません。
四股名は師匠の稀勢の里が付けたのですか?
はい。二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が命名しました。親方自身が現役時代に改名を考えたときの候補だったことも報じられています。
大の里の「里」は、故郷の石川県を意味するのですか?
確認されている直接の由来は、元大関「大ノ里」の四股名です。「里」が石川県の地名だけを指すという説明は、入門会見の資料からは確認できません。
昔の大ノ里と今の大の里は同じ人ですか?
違います。昔の大ノ里萬助は青森県出身の元大関(1892~1938年)、現在の大の里泰輝は石川県出身の第75代横綱です。名前の由来になった歴史的な力士と、名前を受け継いだ現代の力士です。
本名・四股名の由来に加えて、本人が育った石川県の地域を知りたい方は、津幡町の少年相撲教室と故郷での応援の歴史をご覧ください。
この記事で参照した主な資料
本名・四股名履歴は日本相撲協会、命名理由は本人と親方の2023年入門会見、元大関とのつながりは青森県藤崎町に関する取材を照合しました。
事実関係の確認日:2026年10月27日。四股名と命名の由来は過去の確定した出来事として記述し、将来の勝敗や番付に左右されない形にしています。
大の里の関連記事:総合プロフィール/中学・高校・大学と学生相撲の実績/二所ノ関部屋と師匠の関係/化粧まわしの図柄と寄贈者。










